.110閑話休題…生垣の意味
手入れの大変そうな生け垣が使われる理由は、何でしょうか?
阪神・淡路大震災以降、住宅の耐震性もさることながら、防・耐火性が、俄然注目されました。
類焼被害で焼失した住宅が多かったためであります。
大地震が起きないまでも、近所で火事が起きるかもしれない。
そういう時、どの点に気を使った住宅なら、もらい火をしないで済むのでしょうか?
専門家によると、もっとも気を使うべき点は、建物の外壁材の種類より何より、さらに外回りを固める「外囲い」の種類だという。
そして、もっとも防火性の高い、外囲いは、生け垣だといいます。
……
こういうと、「木は燃えるだろう、コンクリートブロックの方がいいに決まっている]と異論を唱える人がいると思います。
確かに、板塀に使われる乾燥させた木は、格好の発火材です。
しかし、生垣は生きている木です。
幹にも枝にも葉にも、たっぷり水分を含んでいます。
仮に火の粉が降りかかっても、水蒸気が上がるだけで、燃え上がることはありません。類焼を逃れることもできます。
…………
これを証明するエピソードがあります。
住宅業者が、住宅の防火実験を行った時の話です。
実際には、建物の外壁材として最も燃えやすい木造家屋が使われました。
すると、住宅の周りに何も樹木を植えていない場合は、火の元から18メートルも離れていても、発火するケースがありました。
ところが、周りに樹木を生い茂らせた住宅の場合は、火の元からわずか2.5メートルしか離れていなくても発火しなかったといいます。
また、関東大震災の時の話。
樹木の少ない本所の陸軍施設に避難した人々は、施設の火災に巻き込まれて、多くの人が亡くなりました。
しかし、樹木が生い茂る深川庭園に避難した人々は、全員無事だったといいます。
………
というわけで、結論としては、貰い火をしないためには、住宅の外囲いは生け花に。更に、狭い庭でも、なるべく沢山の木を植えておくのがベストと言えるでしょう。
109三つの話(全3話)3連載
(第3話)初めてを作るには
日常の中に食材を見つけるには、常に好奇心を持っていることが大切です。
誰でも、自分の知らないことに対して、興味がすごくあるでしょう。
例えば料理屋さんに行って、知らないメニューがあったら頼んでみる。
例えば「たてがみ」なんて料理名のものがあったら、「なんだろう、たてがみ?」と思って、まず頼んでみると良いでしょう。
カレーライスが美味しい店に行ったら、殆どの人が2度目もまたカレーライスを頼むでしょう。
けれどこんな方法はどうでしょう。
「カレーライスが美味しいということは、ハヤシライスも美味しいんじゃないか?」と勝手に予測してハヤシライスを頼んでみるのです。
これは多くの場合失敗する可能性が高い(笑い)。
「やっぱりカレーライスの方が美味しいか」と。
けれど、良い企画を生むためには、こうやって日頃から、自分の接触していないことにも興味を持つようにしていると、多くのことを知るきっかけになりますし、単純に面白いんですよ。
魅力的な人の多くは、「初めて」を作るのが上手なんですよ。
初めてハワイに行く。初めてフグを食べる。
初めて車を運転する。
初めて飛行機に乗る。子供であれば、初めて自転車に乗る。
何でもいいんですけれども、そうやって常に好奇心を持って暮らしていく。
そうは言っても、歳をとれば、どんどん「初めて」が無くなっていくのではないか、と思う人が多いと思います。
そうすると、仮に「ハワイに行こう」と言った時に、「ああ、ハワイにはもう何度も行っているし」となってしまう。
けれども、実際はハワイだって、訪れるたびに、また違う「初めて」を見つけることが出来るはずなのですが、多くの人が、そこでは「わかった気」になってしまうんですね。『秋元康の仕事学』NHK出版
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「初めて」を作りには、ちょっとした冒険が必要です。
習慣になっていることを少し変えてみるだけで、「初めて」が生まれる。会社や学校に毎日通っている道。
寝る時間や、起きる時間、禁煙、ダイエット・・・
だが、自分だけの「初めて」に感動はあるが、人と楽しむ「初めて」の方がもっとワクワクする。
それは例えば、講演会、ワイン会、食事会、旅行など、何人かを集める企画をしてみること。
何かの会を主催すると、「初めて」が圧倒的に増えてくる。
そのためには、「億劫(おっくう)」「煩(わずら)わしい」「手間がかかる」といった面倒がる気持ちを捨てなければできない。
「初めて」を作るには自らが変化すること。
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変化するには、自分で決めている習慣や規則やルールといった荷物やしがらみを捨て身軽にならなければならない。
「初めて」を多く造り、いつまでも新鮮で、魅力的な人でありたい。(終わり)
108.三つの話(全3話)第2話
(第2話)有るべきか、無い方が良いか
仏教思想家の「ひろさちやさん」は、「極楽世界はあるか否か」という質問をよく受けるそうです。
その時「あるか、ないか」を説いても、誰も行ったことも見たこともないのだから、いくら説得させようとしても無駄であります。
そうではなくて「『有るべきか、無い方が良いか』を説けば良いと悟った」と言われます。
例えば、医者が患者を手術する時、患者は助かるだろうか?死ぬだろうか?といった風には考えません。
患者を助けなければと考えて、一生懸命に努力するはずです。
それと同じで、浄土があるか無いかではではなく、「浄土はあるべきだ」と考えて信じれば、生き方が違ってくるはずだと、語っておられます。
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フランスの数学者で、哲学者でもあったパスカルも「神があるか、無いかはわからない。
しかし、神がある方に賭けたら、人生は喜びに満ち、無い方に賭けたら悲惨の極みだ。
だからある方に賭けた方が、得だ」と言った。
信長が好んだ謡曲『敦盛』では、「人間五十年…夢まぼろしのごとくなり」と謡うが、浄土や神はあると思って前向きに生きたいものです。
「生まれ変わり」について以前、こういう話を聞いたことがあります。
生まれ変わりがあると信じ、「この世は修行だ。感謝で生きよう」などと思っていた人が亡くなったあと、あの世があったとしたら、「自分は間違っていなかった、ラッキー!」と思うので、プラス1点。
・・・逆に、生まれ変わりなどない、などとうそぶいて、「汚い言葉を使ったり、人をだましたり、平気で悪い事をしてきた人」が亡くなって、もしあの世が存在したら、愕然として、身もだえするような後悔の念にかられるので、マイナス1点。
・・・そして、生まれ変わりを信じている人も、信じていない人も、あの世がなかったとしたら、それは存在しないのだから、マイナスもプラスも無いゼロ。
だから、信じた方が確率論から言っても得だ、と言うことだった。
あの世や、神は見えない世界だし、証明できない世界。
この手の話は、あまり言い過ぎると怪しく思われてしまいますが・・・。
しかし「ある方に賭けた方が得」。あの世や神は、あると思って生きた方が、人生を豊かに生きられるようです。