“苦情は宝の山”

“苦情は宝の山”について私の考えお話したいと思います。苦情は企業とお客様との間にある一定の期待、約束に対し、ギャップが表面化した時に起きるものです。

問題が大きい場合は、企業の社会的責任まで発展します。例えば、一部上場企業が、堂々と有害物質を生産し、違法に廃棄し、隠蔽しているなど誰も思いません。しかし、こうした問題が表面化すれば、企業の社会的存在意義を失います。これはもう、苦情のレベルではありません。

身近な例で言うと、百貨店で買った「みかん」と、露天商で買った「みかん」とは大きく差があります。同じように「みかん」が腐っていたとしましょう。百貨店には苦情を言うが、露天商には苦情を言わない人が多いでしょう。それは、これは、お客様に、百貨店はそんな不良品は置かないという暗黙の期待感があるからでしょう。だから苦情として表面化するわけです。一方露天商への期待はそれほど高いものではない。苦情にはならず、次から買わないだけです。苦情の本質はそのようなものなのでしょう。企業にとって一番怖いのは表面化しない苦情です。お客さんが無言の抗議をしたら怖いですね。

苦情の種類はさまざまです。一過性のものもあれば、本質的、構造的問題を含んでいることもあります。特定の人物、特定の部署にかたよる苦情もあります。