「お客様満足」(その二)豊臣秀吉と石田光成の出会い

 

 

豊臣秀吉の側近で、五台奉行のトップを務めた、石田光成が幼い頃、お寺で修行をしていました。その頃光成は「佐吉」と呼ばれていました。ある日のこと、鷹がりに出ていた秀吉が、休息を取る為、そのお寺に立ち寄ることになりました。「佐吉」に向かって秀吉が、話しかけました。

秀吉「走り疲れたので、一服したい。お茶を入れてくれないか」

 

佐吉『大きめの湯呑にたっぷり、寝る目のお湯を』入れてお出しした。

 

大変おいしかったので…

 

秀吉「大変美味しい。もう一杯くれないか」

 

佐吉は『先程の半分ぐらいの湯呑に、先程より少し熱めのお茶』を、お出しした。

 

秀吉 面白いことをする奴だと思ったので、試しに、「悪いが、最後にもう一杯お茶をくれないか」という。

 

佐吉は『小さい湯呑に、今までより熱めのお茶』をお出しした。

 

秀吉 大変感心され「どうして三通りのお茶を出したのだ」と尋ねられた。

 

佐吉「秀吉様の喉の渇き具合を考えて、その都度、それに合ったものを出そうと考えました」と答えました。

……・・

その話にすっかり感心した秀吉は、自分の側近として召し抱えることにしました。石田光成は、文治官僚として、切れ味の良い腕を振るいました。太閤検地や、朝鮮出兵や撤退の指揮を執った。このような話が残るのも如何に切れ味の良い人物だったかを物語るものである。次回はインドのお話しです。