タイタニック号に学ぶ(2編)

1回目

今から約十数年前になりますが、パソコンに「タイタニック」仮名入力をして変換をしたら「焚いたニック」と出ました。何じゃこりゃ!今はやりのハッカーが、俺のパソコンにもやって来たか!と慌てていたのが可笑しくもあり、懐かしく思い出されます。私のようにパソコンが苦手だった者にとって、知識外の言葉に慌てるのは心の準備、即ち予防対策が出来ていない証拠であるのです。ビジネスに関わらず日常生活においても危機管理は重要です。

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かつて、映画「タイタニック」が評判になりました。レアナルド・デカプリオとケイト・ウインスレット演じる「最後まで愛を貫く運命の恋人達」や、「生への希望と人生の意味」を考える上で多くの感動を与えました。その結果、97年度アカデミー賞を11も取る話題作となりました。この華やかさとは別に私たちの周りで、タイタニックの海難事故が色々な教訓を残してくれました。

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このイギリスの豪華客船が処女航海中に氷山と衝突したのは1912年。2200人の乗客のうち1500人が亡くなりました。イギリスでは、海難審判委員会が開催され、色々な航海上の安全対策が打たれました。集約すると5項目になります。

一つ目は、救命ボートの数が、それまでは乗る人数ではなく、総トン数によって決められていました。この事故以降、客船には乗客全ての分の救命ボートを乗せることに変更されました。当時、積んでいた救命ボートの数は、乗客数の約半数分の1178人分に過ぎませんでした。それでも規定の962人分は上回っていました。いつも法律は、現状追認や後追いになります。法律は守らなければなりませんが、あまりにも現実とかけ離れている場合は、問題提起をする気持ちで、お客さま視点に立って、新しいことに取り組む気概が必要です。

二つ目は、当時、客数の無線通信士は、深夜仮眠を取っても良いことになっていましたが、これ以降24時間勤務へ変更されましたタイタニック号から必死に打たれた遭難信号は、僅か16km程しか離れていないところにいたカルフォルニア号には届きませんでした。カルフォルニア号の通信士が、事故直前にスイッチを切って寝ていたからです。遭難信号を受信したのは、92kmも離れていたカルパチア号でした。遭難現場に到達したのは、受信吾3時間経過した、午前4時頃であり、タイタニック号は既に、午前2時20分に沈没していました。その為705人の救助に終わったのです。

長くなりますので、三つ目以降は次回で…・