あなたの情熱年齢は、まだ若い

はじめに

日本の女子ゴルフ界は、十代の選手で持ちっきりであるが、アメリカの全米女子オープンでは、更に若いアマチュアの選手が大活躍で、一気に中高齢者が押され気味である。でも年だけが若さではないと、強がりを言わせてくれる詩もあります。

ゴルフの帝王ジャック・ニクラウスが、永年連れ添ってきた、キャディーのアンジェロ・アルジーを解雇した時、こう言いました。「アンジェロは情熱を失っていた。もはや、彼から興奮の躍動を、引き出すことは出来ない」ニクラウスが、アンジェロに見たのは、「情熱の喪失」であった。金と名声を得た、ニクラウスが最も恐れたのは、彼のキャディーに起きた心の変化が、自分に伝染することであった。即ち、彼の胸に去来したのは、自分の情熱の冷える、その日のことだったに違いない。

王選手が、40歳で引退した時、記者団に「精神的な部分で、燃えてこない点が出てきたので、引退の結論を出した」と語った。燃え尽きた『選手・王』に、もう一人の自分が、見切りをつけた。情熱さえあれば、なんでも出来る訳ではないにしても、情熱が無ければ、何も出来ないのも確かである。平均寿命以上に大事なのは、「情熱年齢」とも言うべきものかもしれない。今回は、この「情熱年齢」の価値を、高々と歌い上げたサムエル・ウルマンの詩の中で、好きで有名な詩を紹介いたします。「常に前向き」に理想を追うことの素晴らしさをうたった詩です。大変深い共感を覚えます。関心がお有りの方はご覧ください。

 

◆青春◆

青春とは 人生のある期間ではなく 心の持ち方をいう。

バラの面差し、くれない(紅)の唇、しなやかな手足ではなく

たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。

青春とは 人生の深い泉の清新さをいう。

 

青春とは 臆病さを退ける勇気

やすきにつく気持ちを 振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、二十歳の青年よりも、六十歳の人に青春がある。

年を重ねただけで、人は老いない。

理想を失うとき、はじめて老いる。

歳月は皮膚に、しわを増すが、情熱を失えば、心はしぼむ。

苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい、精神は芥(あくた)になる。

 

六十歳であろうと十六であろうと人の胸には

驚異にひかれる心、幼児(おさなご)のような 未知への探究心

人生への 興味の歓喜がある。

君にも我にも 見えざる駅 が心にある。

人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の霊感を受ける 限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ

悲嘆の氷にとざされるとき、二十歳だろうと、人は老いる。

頭を高く上げ、希望の波をとらえるかぎり

八十歳であろうと、人は青春の中にいる。

                                                                                           サムエル・ウルマン

                                                                                           宇野収、作山宗久訳

                                                                                            三笠書房

最後に

人は、「これをやりたいと思った時」が、その人にとって「旬」である。

これまでの人生で、やれなかったことを今やり始めた方は、

今、そのことに関しては、まさに青春の真っただ中にいる。

新しいことに興味を持てない人は、20代でも30代の人でもそのまま過ごすと

生きる時間の少ない人達の仲間に入れられそうである。

「私に限って、そんなことはありません。大丈夫」

と言われる人の多いことを期待します。

ところが、かつて一世を風靡した「水平思考」のマクル―ハンさんが、

こんなことを言っています。ちょっと身につまされるところがあります。

「自分では、前を見ているつもりで、実際はバックミラーを見ている」

将来を見ているつもりで、過去ばかり振り返ってはいないでしょうか?

バックミラーは、車線変更や方向転換する時だけ見れば足りるものです。

過去の成功や失敗にとらわれて、進む方向を間違えないようにしましょう。

これから、公私にわたり、色々やることがまだ山ほどあるのだから。

ジャック・ニコラウスや王さんの様な世界的スターのレベルでなければ、

情熱を燃やせるのは、いっぱいあるはず。

これまでは、組織や親や先輩が、道筋をつけて下さったことが多いかもしれない。

しかし、これからは自分の考えで自分の「旬」に情熱年齢パワーをぶつけていきたい。