決断力(全2話)
その2「母が先か、妻が先か」&「決断力の総括」
明治時代の禅僧・橋本蛾山(がざん)が京都大学へ招かれ、哲学に先生たちに、「禅とは何か」という講義をされた際に、聞いていた先生たちに出された質問があります。
そのお話をします。
「大きな池で、あなたの母親と妻が溺れていたら、どちらから先に救うべきでしょうか?」
これをお読みの皆さまなら、どうされますか?
「おふくろから先にすべきか、女房から先にすべきか」と悩むでしょう。
ある哲学の先生はこう答えました。
「儒教の教えによると、親孝行が最優先の原理なんだから、親から先に救うべきだ」と答えると、
もう一人の先生は、こう反論しました。
「儒教ではそうかもしれないが、キリスト教だと神様は、夫婦を最初に造られた。だから女房を先に救うべきだ」
喧々諤々(けんけんがくがく)話しがつかないので、とうとうしびれを切らした禅僧は
「おまえら、そんなに揉めていたら、両方とも溺れ死んでしまうぞ」と言った。
そう言われても、結論を見出せない哲学の先生達は困ってしまった。
そこで、一人の先生が、ついに禅僧に尋ねた。
「禅僧でしたら、どちらから先に救われるのですか?」すると禅僧は、笑いながらこう答えました。
「わしか。わしは、近くにいる方から救う」
「迷っていたら、ふたりとも死んでしまうではないか」
……………・・
近くにいる方から救う。……答えを聞いてみると、誰でも分かることであるが、「母」や「女房」というレッテルを貼ってしまうと、分らなくなってしまう。
ところが、二人を知らない人が「溺れている2人を見た」となると、これはもう、近くの人から救いにかかるだろう。
こんな簡単に思われることでも、レッテルがつくと迷ってしまいます。
……………
私たちは、勝手なレッテルを貼るものだから、それにとらわれる。
もし、新たな発想をしようと思うのであれば、貼ってあるレッテルを取りはがして、ものを考えるよう意識したいものです。
……………
とにかく、現場に一番近い人が、一番良いと思うことを素早く行うことが大切。
迷って様子見をしてはいけない。
迷っているうちに、二つの乾し草の間で死んでいたロバや、迷っているだけで行動しないうちに、溺れている人を、誰も救えない状態にしてしまう可能性が高い。
そこまで言っても、まだ、右か左か、踏ん張りが付かない人がいたら、何時もサイコロを持っていて、サイコロを振って決めることです。
迷うということは、どちらも価値が同じとみたからであり、どちらでも良いのであれば、サイコロに背中を押してもらうことに限ります。
……・
緊急時には、あれこれ考えても判断がつかなければ、勘で、こちらが大切だと思うことを、一刻も早く実行することです。
但し、判断能力を向上させる勉強は、いつも続けてほしいのは言うまでもありません。
「勘」というのは、日頃、問題意識をどれだけ持っていて、何とかその問題を解決しなければならないという使命感が強い人ほど、その勘が冴えるといいます。
参考になりましたでしょうか?