常識の疑い方(全4編)その4…事実とされることも疑うべき時

その4

各パターンに共通することは、「目的を確認する」ことにより、常識とは違うやり方に行き着くことが出来るようです。

問題は何時それをやるかですが、何かを決める時、ちょっと立ち止まって、目的を確認するとよいと思います。

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「例えば、客席の間隔をどうするか?」を決める時に

「押さえるべき目的は、何だっけ?」と確認してから、答えを出す訳です。

ここで1つ注意したいのは、抽象的になりすぎないこと

「幸せになってもらう」「顧客満足を高める」とかでは、抽象的すぎて、目の前の手段が良いのか、どうなのか、わかりません。

「生き抜く力をつけて欲しい。そのためには何が重要?」とか、

「一緒に来た人と良い時間を過ごしてもらう」といった、

目の前の手段の良し悪しを、判断できるレベルがちょうど良いでしょう

さて、疑ってみる必要があるのは、これまで上げてきたような「こうするもの」(するべき)というもの他に、事実と言われることにもあります。

例えば、日本の食糧自給率は40%しかない(だから上げないとまずい)といったもの。

こういった統計数字はそれがどのように出てきているかが要注意です。

例えば、食糧自給率の場合、分母は「供給カロリー量」なので、消費されず廃棄されているもの(供給量の25%以上)も、入っています。

もし日本人の「摂取カロリー量」を分母として計算すると、自給率は56%になり、国際的にも低いとは言えないという説もあります。

ここでチェックする必要があるのは、

一つに、この計算方法が目的にかなっているかどうかということ

もう1つには自給率が40%」と聞いた時に、

人々がイメージするのと合っているかということです

もし人々が「今食糧輸入が止まったら、必要な量の40%しか作れないんだ」

とイメージしているとすれば、それは誤解を招いていると言えそうです。

この「事実とされていることを疑う」ことについては、まだまだ色々あるので、また機会を改めたいと思います。

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まずは「こうするもの」とされている常識について、「何故?」そして「目的に対してベスト?」と、考えてみてはいかがでしょう。

それが、意外な結論のきっかけとなるかもしれませんよ。

 

明日は、上月照宗氏(永平寺監院)の記事をそのままご紹介します

母子の感動の実話です。ぜひ御読み下さい。

それでは、「キュ」