陰徳を積む(全2編)その1
その1
感動を呼んだ上月照宗氏(永平寺監院)の記事をそのままご紹介します。
母子の感動の実話です。
ぜひ御読み下さい。
…………
「親と子といえば、私には、どうしても忘れられない逸話があるんです。
土井敏春という中尉の話です。
昭和16年の安慶の攻略戦の際。土井中尉は、部下5人を連れて将校・候に出たのですが、敵の地雷に引っ掛かってしまった。
(中略)
一瞬にして5人の部下が、即死してしまったのだから惨いことです。
助かったのは土井中尉一人。
しかし彼自身も両足と片腕を吹き飛ばされ、爆風で脳、眼、耳が完全にやられてしまった。
あまりの苦しさに舌を噛み切って自害すると言われますが、土井中尉は上下の歯もガタガタになってしまった。
死ぬに死ねません。
これほど悲惨なことはありません。
自分がどこにいて、何をしているのかも分らない。
声だけは出るものですから、病院に担ぎ込まれても、ただ怒鳴り散らすばかりです。
まだ昭和16年のことでしたし、少尉ですから、病院や看護婦は至れり尽くせりの看護をしたのですが、本人にしてみれば地獄です。
目は見えない、耳は聞こえない、自分で歩くことも出来ない。
食事を食べさせてもらうのはいいが、しょっちゅう漏らして看護婦の世話になる。
ただ、怒鳴るだけしかできず、介護に反発しますから、ついには病院中のだれにも嫌われてしまった。
それで内地送還になり、最後は箱根の療養所に落ち着くのです。
その連絡が、お母さんの所に届きます。
すでに夫を亡くしていたお母さんは、その当時はみんなそうでしたが、息子のために毎日毎日、陰膳を供えて彼の無事な帰還を祈っていました。
ですから、「息子が帰ってきた」という知らせに、母は娘と夫の弟さんを連れて、取るものも取らず、取りあえず、箱根に駆け付けたんです。
療養所では面会謝絶です。
院長にお願いしても、「せっかく来られたんですが、息子さんには、とてもあなた方のことは分らないでしょう。今日はお帰りください」と聞き入れてもらえないのでした。
しかし、母にとっては待ちに待った息子の帰還です。
何とか一目でいいから会わせてほしいと懇願し、やっとの思いで院長の許可を取ることができました。
病院に案内されると廊下の向こうから「わあー!」っという訳の分らない怒鳴り声が聞こえます。
どうもその声は、自分の息子らしい。
毎日陰膳を祈っていた、自分の息子の声であったのです。
たまらなくなって、その怒鳴り声をたどって、足早に病院に飛び込みます。
するとそのベットの上に置かれているのは、手足を取られ、包帯の中から口だけが覗いている「物体」。
息子の影すらありません。声だけが息子です。
「ああー」と、母は息子に飛びついて、「敏春!」「敏春!」と叫ぶのですが、耳も目も聞こえない息子には通じません。
それどころか、「うるさい!何するんだ!」と言って、残された片腕で、母を払いのけようともがくのです。
何度呼んでも、体を揺すっても暴れるだけです。
妹さんが「兄さん!兄さん!」と抱きついても、伯父さんがやっても、全然受け答えしません。
三人はおいおい泣き、看護婦もたまらず、もらい泣きしました。
何も分からない土井少尉はただわめき、怒鳴っているばかりです。
こんな悲惨な光景はありますまい。
しばらくして、面会の時間を過ぎたことだし、「また良いこともあるでしょう。今日はかえりましょう」と院長が病室をでると、妹さんと叔父さんも泣きながら、それについて帰ります。
しかし、お母さんは動こうとしない。
……お話しが長くなりますので、後半部分は今夜投稿させていただきます。
それでは、「キュ」