読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東日本大震災から5年(全8編)その4.1/2

私に任せてください(1/2)

「私に任せて下さい。自分が行きます!」全ての隊員が口を揃えた。

福島第一原発の設備に放水するため、陸上自衛隊のヘリコプター「CH-47」が出動することになった時のことである。

「任せろ!これくらい、たいしたことではないさ」

「今、無理しなくて、いつするんだ!」

被爆覚悟の作戦にもかかわらず、そんな声があちこちから聞こえてくる。

…………………

目をつむると、目に遺体の残像が、次々に浮かんでくる。

それは阪神淡路大震災の時も同じだった。

当時、若かった隊員が、現在は曹長などリーダーになっており、

その経験からか、誰が命令した訳でもないのに、夜は5~6人の作業部隊が車座になるのだという。

辛かった光景、ひどく悲しかったことなどを、黙々と作業し続けたその日の全ての事を、声にして吐き出し、そして泣く。

やがて、「明日も任務を精一杯やろう」と誓いあって、一日を終えるのである。

「日頃、いろいろと問題をおこす者もいますが、国難にあたっては、驚くほど厳しい使命感でやっています。

彼らと同じ制服を着ていることを、誇りに思います」。

すれ違ったベテラン自衛官が、ふと立ち止まり、振り返って言った。

「そういえば、娘から初めて敬語でメールが来ましたよ」

とちょっと恥ずかしそうに言った。

その内容は、

「日本に生まれ、自衛官の娘に生まれてよかったです。お父さんを誇りに思います」

とのことであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次は、大震災後に津波に遭い、24人の園児達と共に護衛艦「たかなみ」に救出された宮城県石巻市の幼稚園教論のはなしです。

乗組員にも家族がいて、聞けば、連絡もとれていないのだという。

震災が発生した直後、休暇を取っていた者も皆、自分の艦に急行し、取るものも取らず、取りあえず出港したため、実際、彼らは家族の安否も確認できていなかった。

それなのに、そんな事情は一切、口に出さず、あの恐ろしい海の中で助けてくれた。

子供達が不安にならないように、ずっと励ましてくれた。

年の頃も若い自衛官ばかり、年下かもしれないが、彼らが目の前で示してくれる行動が、どれだけ心強かったか分らない。

思いが去来するが、こうして生きていて、一緒に、誰かのためにおにぎりを握っている自分が、無性に幸せだと感じた。

「先生、どうして朝から『おはよう』とか『こんにちは』じゃなくて、

『ありがとう』ばかり言っているの?」園児はあどけない顔で言う。

「だって、『ありがとう』しかでてこないよ」教論は心からそう思った。

 

明日は、ここから、始めます

私に任せて下さい(2)

無理だと誰もが思っても、むなしい時間だと知っていても、人々は毎日、同じ場所に来て、行方不明の家族をひらすら探しまわる。

その側で、懸命に活動する自衛官の姿が、どんなに心の支えになっていることだろうか。

「俺、自衛隊に入る」と、小学生は次のようなことを言った。

津波にのまれた父親が、帰ってくるのではないかと毎日、ずっと海を見つめていたところ、若い自衛官に声を掛けられた‥‥

・・・

国難にあった時、誰が犠牲的精神で、我々を守ってくれるのか、くれたのか。

あの時のことを、この時期、思い出してみては如何でしょうか?

”喉元過ぎれば熱さを忘れる”ではね…

 

今週も楽しい、素敵な日々をおくりましょう!

それでは、みなさん  「キュ」