感謝:こうず かんな 氏の作品をそのまま投稿します。(全4編)その1
私は、比較的やさしい、思いやりのある人間だと自負していた。
長女で、忙しい両親に代わって妹や弟の面倒を見てきたことが習い性となったのか、
頼まれごとをされれば、何でも引き受けてしまうし、
少しばかりの自分の時間や労力を費やすことになっても、
それを惜しむ気持にはあまりなれない。
だから他人からは、面倒見がいいとか、気配りがあるとか、
優しいとか言われ、そう言われれば、勿論悪い気はしないから、
自分でも何となくそんな気になっていた。
………………
そんなある日のことである。
食事中に私は、友人から意外なことを言われた。
共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、
彼は小さくため息をついて言ったのだ。
「君の優しさってさ、自己満足的なところがあるよね」
私はカチンときた。
「どういうことよ、それ!」
「いや、だからさあ、君は確かに相手のために、何かをしてあげているのだろうけど、結局それは、自分の美学を全うするためって感じが、時々するんだよね」
彼は言いにくそうに、しかしきっぱりと私に言ってのける。
私は猛然と反論し始めた。
「何かしてあげて、それで少しばかりこちらの気分がよくなったら、自己満足なの?優しくしてあげよう。と心掛けていることをしたのに、それは自分の美学を遂行したに過ぎないって言葉で片付けるの?それって、あんまりじゃない。勿論私は神でも仏でも聖人でもないのだから、そりゃあ無垢な心でやっている訳ではないけど、相手のことを思ってやっているのは事実よ」
黙ってしまった彼の前で、私はひたすら言葉を続けた。
「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。偽善で優しく出来る方が、何もしないより少しはましでしょう?能書きばかり言って、あなたみたいに何もしない人っていうのが、一番始末が悪いのよ」
こちらもついつい興奮して、刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。
彼は苦笑いをして私を見た。
「ごめん、ごめん。別に君を批判している訳じゃない。人に何かしてもらってことばかり求めている人が多い中で、君みたいにしてあげることを喜べる人は、偉いと思っているよ。ただ・・。そこで立ち止まっているのは君らしくないと思っているだけ」
話はそこで終わり、気まずいまま私達は店を出て、
ほとんど会話することなく駅まで歩き、
そのまま別々の電車に乗った。
下り電車はまだ混んでいて、私は吊り革にぶら下がりながら、
さっきの友人の言葉を思い返した。
腹は立つのだが、何となく気になる。
残念だが心の奥底が、どこかで彼の言葉を認めているような気もし始めた。
明日(その2)はここからです。
ふと昔聞いた仏教説話を思い出す。
それは、地獄を釈迦が歩いている時のことだった。
地獄に落ちた人々が、
釈迦に向って口々に「食べ物をくれ!」と叫ぶ。
釈迦はその言葉を聞き‥・・・
‥‥‥‥
今回、お話が長くなるため、一つのお話を、4回に分けました。
最後の4回を読み終わった時、感じるものがあります。
是非、4回すべて読んでいただけたら嬉しいです。
みな様、今日も素敵な一日をお過ごし下さいませ。
それでは。「キュ」