感謝(全4編)その3

「してもらう」ことを望むより、

「してあげる」ことの喜びを感じられる方がいい。

偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、

やさしさを表さぬよりは、表した方がいい。

けれども、そこは第一ステップにすぎない。

その上に、階段はずっと続いているのである。

私はその階段があることに気づいていなかった。

・・・いや、気づいていたのかもしれないが、

面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。

友人はたぶん、そういうことを言いたかったのであろう。

けれども、だとしたら、一体私はどうしたらいいのだろう。

どんな風にすれば、せめてもう一段、階段を上がれるだろう。

帰宅後、私は思い余って、先程別れた友人に電話をした。

電車の中で気づいたことを素直に告げた後、

どうすればいいのだろうと尋ねたら、彼は笑いながら言った。

「感謝」「感謝」

「えっ」

「神や仏の愛は勿論だろうけれど、例えば・・・。

植物はさ、あなたのために、無償で空気を提供してくれるんだし、

太陽はさ、何の見返りもなくあなたを温めてくれている。

人は誰もみんな、気づいてはいないかもしれないけど、

もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。

それを思えば、君は確かに何かをしてあげた時、

きっと自己満足なんかしないと思う。

むしろ、当たり前だと思っていた街路樹や、

木漏れ陽(こもれび)にサンキューって言いたい気分になると思う。

偉そうなこと、俺も言えないけどね」

明日(その4)はここからです。

私は体中が温められたような気分だった。

その友人は二年後に亡くなった。

周囲の人の殆どは知らなかったが、

彼はずいぶん以前から、重い病を抱えていたという。

勿論、私はそんなことは全く知らなかった。・・・

‥‥‥‥‥

九州の地震被害がこれ以上拡大しないことを祈りながら…

今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ

それではみな様、 「キュ」