祈りの手(全2編)その2

デューラーは、私のことで傷つき、

苦しんでいます。自分を責めています。

神さま、どうかデューラーが、

これ以上苦しむことがありませんように。

そして、私が果たせなかった夢も、

彼が叶えてくれますように。

あなたのお守りと祝福が、

いつもデューラーと共にありますように」

・・・

デューラーは、

その言葉を聞いて心打たれました。

デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いない」

と思っていたハンズが、

妬み恨むどころか、自分のことより、

デューラーのことを

一生懸命祈ってくれていたのです

・・・

ハンスの祈りを

静かに聞いていたデューラーは、

祈りが終わった時、彼に懇願しました。

お願いだ。君の手を描かせてくれ。

君のこの手で僕は生かされたんだ。

君のこの手で、僕は、生かされているんだ!」

こうして1508年、

友情と感謝の心が籠った

「祈りの手」が生まれました。

・・・

ハンスは、デューラーのために働き、

お金を送り続け、結果的に

彼自身の絵描きになりたいという夢は、

実現出来ませんでした。

そういう人生を、世間では

「成功した人生」とは評価しないかもしれません。

・・・

しかし、「価値ある人生」でした。

・・・

彼のお陰デューラーは、

世の中に出て認められ、

多くの素晴らしい作品を、

世に残すことができました。

彼がいなければ

デューラーの作品は

生まれなかったかもしれません。

少なくとも「祈りの手」という作品は・・。

そして、

彼自身が自分がしてきたことに

納得しています。

誰も評価してくれなくても、

「価値ある人生」だったのです。

・・・

おそらく1人の成功者の周りには、

デューラーのように陰ながら、

その人を支え、

応援してくれている人がいます

その人は、広い心を持ち、

人のことを考えて行動します

時に自分が傷ついても、

人を愛することを選びます

そういう行いの一つひとつは、

価値あるものだと私は思います。

・・・

聖書にこのような言葉があります。

「彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなた方の受ける報いは素晴らしく、あなたがたは、いと高き方の子供になれます」

(新薬聖書 ルカの福音書6章35節)

聖書は「受けるよりも与える方が幸いである」

(使徒20章35節)と語ります。

私達も愛を届けるものとして生きたいものです。

(終わり)

・・・

 臨済宗の高僧、高花大亀氏の話に

「坦雪埋井(たいせつまいせい)」

という言葉があります。

「人間の努力や営みは、

雪を投げ込んで、

井戸を埋めようとするようなものだ」

という意味です。

どんなに雪を運んでも、

井戸は埋るはずはありません。

徒労といえば徒労です。

しかし人生とは。

元々そういうものだと思っていれば、

他人を恨んだり、妬んだりせず、

清々しく生きていけるのではないでしょうか。

題名は、三風五雨を生きる(全3編)です。

・・・

それでは、みなさま、今日も素敵な一日を

友情、感謝、恋愛、愛情

人生って素晴らしいですね