無常意のサービス(一話完結)

「無上意」とはこれ以上無い行為

という意味の仏典から来ている言葉です。

人は大それた行為や、

金のかかった大きな仕掛けに感動し、

感激するのではありません。

ほんの小さな心遣い、

さりげない思いやり、

温かな無償の行為に感動します。

人の不思議なところは、

難しい数学や物理の公式を覚えている人を見て、

びっくりはするが、感動はしません。

誰もが、少し努力すればできる笑顔や、

思いやりや、気遣いを「ここまでやるか

と見せられた時、感動し感激するのです。

気配りや気遣いには、

特殊な能力もいらないし、

学校の成績も必要ありません。

利害、損得を考えず、

「人の喜びのために」と、

ただひたすら動く人と出会った時、

涙します

一方、「人を感動させてやろう」

「涙を流させよう」・・と思った時、

そこには偽りの、クサさが出てきます。

クサイ演技やクサイ芝居になってしまいます。

無上意とは、人からにじみ出る、

本当の優しさや、

温かみという人間味であります。

毎日のちょっとした、

温かな無償も行為の積み重ねが、

人の魂を磨きます。

そして無上意になります。

毎日が修行です。(終わり)

・・・

 「石橋くん、私を見て何か気が付かない?」

入社したての私は、

先輩の女性からの突然の質問に、正直、躊躇してしまいました。

そんな私に、その先輩は間髪いれずに

「石橋くん、わかんないの?

新しい靴を買ったのよ。

昨日と今日の変化に気づかないようじゃ、

男性社員として失格よ!」

と明るく笑いながらからかったのです・・・

※人はみな、自分の存在を認めてほしいと思っている。

 無視ほど残酷な行為はありません。

 自分の体験からお話をしたいと思います。

 「承認欲」全3編です。

※申し訳ございませんが、明日の投稿は夜になります。

 今日、大阪の実家に帰り、明日四日市に戻ります。

 母の話を聴いてきます。

それでは、みなさま、素敵な一日を・・「キュ」