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素直な心(パート1)耳を傾ける(全3編)その3

まことに、ゆきとどいた姿と言えるでしょう。

長政が、そういう姿の会合を続けていたということは、一つには自分にも至らない点、気づいていないこと、知らないことがあるのだ。

それは改めなければならないから、教えてもらおうという謙虚な心を、持っていたと思われます。

勿論、そこには、国を誤らない為に、という配慮もあったでしょうが、その前に、いわば自分自身の不安定さを自覚するという、人間としての謙虚さといった深い心を持っていたからではないかと思うのです

そういう不完全さの自覚があったからこそ、例え家来かの指摘であっても、それをいわば天の声として受け止めるという、謙虚さも生まれてきたのではないでしょうか。

謙虚な心で衆知に耳を傾けるということは、いつの時代どんな場合でも非常に大切な事ですが、素直な心が働けば、そういう姿が生まれてきます。

即ち、素直な心になれば謙虚さが生まれ、その謙虚な態度の中から衆知というものも、自から集まって来るのではないかと思います

黒田家52万石安泰の基盤も、そのようにして衆知が集まったところから、築かれていったのです。(終わり)

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明日から3連載で素直な心パート2「道理を知る」です。

ここから始まります。

「素直な心」というものは、広い視野から物事を見、その道理を知ることのできる心である。

寛永の頃に幕府の勘定奉行をつとめた伊丹播磨守康勝は、農民や町民のために利をはかることが多かったといいます。

例えば、その頃、運上金、つまり税金を公儀に納めて、甲斐国から出る鼻紙を一人で商っている商人がいたのをうらやんだある富商が、「私にお任せ下されば、これまでよりも千両多くの運上金を納めます。どうかお許し願います」

と願い出ました。

それに対し、評議では許すことに決まりそうでしたが、播磨守一人は、反対しました。

富商は、なおも熱心に願い続けたので、三年後には老中など執政の人びとの意見も、許すことで一致しました。

その時播磨守は、「これより後に、盗賊のおこらぬ道が立ちますならば、いかにも許しましょう」と、言いました。

人々がその言葉のわけをたずねると、播磨守は、次のように言ったということです・・・