浦島太郎を考える(全3編)その3
努力や苦労のない成功はない
やはり、結果を出している人達は、それなりの準備と努力をしています。
その対価として、成功を手にしたのです。
勿論、努力さえすれば成功するわけではありません。
少なくとも努力の無い成功はありません。
あったとしても、長続きはしない。
やはり帳尻はあうのです。
成功をしている人に聞くと、間違いなく大変な苦労をしています。
資金繰りに窮した話。
商品が売れなかった話。
従業員に裏切られた話。
休日も取れず働いた話。
しかし成功した経営者は、それらを苦労した話と思っていないのです。
本当に「すごい才能」というのは、努力を努力と思わない才能ではないかと、思います。
周囲から見れば大変な努力だと思えることを、本人は当たり前だと思ってやっている。
だから、自然に結果が出てしまうのです。
どういう人が評価されていくのか?
では、なぜ苦労を苦労と思わない、努力を努力と思わないのか?
持って生まれた「努力の才能」の他に大切なポイントがあります。
その努力そのものが、苦労そのものが、本人には楽しいものになっているということです。
努力を努力と思わない人、仕事を楽しんでいた人は、一般的にはつまらなそうに思える仕事ですら、楽しんでしまっています。
例えば、コピー取り一つを取ってみても、目標を定めてしまう。
どうすれば、最も短時間に取れるか。
どうすれば、最も楽しく取れるか。
どうすれば、書類を見る人に、喜ばれるものにできるか・・・。
出世をする人は、本位で無い仕事、苦手な仕事にも、挑まなければならないタイミングは、間違いなくやってきます。
それを楽しんで、こなしていけるかどうかが、社内で評価されるか、どうかの決め手になります。
竜宮城へ行ったのが,もし村人全員だったら
ある映画に印象的なセリフがあります。
「もし竜宮城へ行ったのが、浦島太郎だけではなくて、村人全員だったらどうだったか」
確かに家は、朽ち果てていたかもしれませんが、太郎も村人も、昔と同じように、みんなで生活をしていたでしょう。
玉手箱も開けることもなかったかもしれません。
浦島太郎は、人間にとっての最たる恐怖は何か、を問いかけています。
その答えは、まわりに誰も自分を理解してくれる人がいない、孤独な場所に放り込まれてしまうことなのです。
玉手箱を開けてお爺さんになってしまい、誰にも理解出来ない状態に追い込まれてしまうことなのです。
さらりと読んでしまいますが、心の奥底でどうにも落ち着かない気持ちになるこの物語
結局のところ、人は一人では生きられないのです。
知らず知らずのうちに、多くの人と関わりを重ねて生きている。
それを断たれるのは、極めて深刻な事態だと、浦島太郎は教えてくれていると思います。(終わり)
・・・
次回は
、鶴の恩返しを考えてみます。