17)アー・ユー・ハッピー?…矢沢永吉(全2編)その1

1988年、オレはオーストリアで被害総額30億円以上という、とんでもない横領被害に遭った。

犯人は長年、一緒に仕事をしてきた部下だった。

事件はオレにとって大きかった。

金額の問題じゃない。

とにかく精神的ダメージが大きかった。

ドーンと、胸に空洞があるみたいになった。

ショックだった。

だってそうじゃないか。

犯人は側近中の側近だ。

やつらが共謀して、オレを裏切ったんだ。

背任、横領、公文書偽造、やりたい放題だった。

しかも、10年間にわたって。

…………

「矢沢がやられたよ、だまされちゃったよ、大借金くらっちゃったよ、あいつバカだよな」。

結局、マスメディアが言っていることはこれだけだった。

オレは、負けるわけにはいかない。と思った。

「こいつら、待っているんだろうな、オレが破産するのを。こいつらにいい思いさせたくないな」

こいつらっていうのは、「他人の不幸は蜜の味」と思っている連中だ。

すると、どうする?何が何でも借金を片つけなきゃいかん。

「あの男は落ちねえな」と思わせるところにいかなきゃオトシマエがつかないだろう。

……………

オレが引かない理由?

プライドもあるだろう。

このまま尻尾を巻いたんじゃ、あまりにもシャクだよな。

でも、それだけじゃない。

もっと上から見てたら、本当に負けちゃいけないって思えるんだよ。

このままじゃ、世の中に正義ってもんが、ないってことになる。

「真実もクソもあるかい。おもしければいいじゃん」ってやっぱりのさばったら、人社会は終わる。

いくら腐っても、どっかのところでは、誰が悪いのか、何がどうなっているのか、きっちり白黒つけなきゃいかん。

…………

うちの女房はいいことを言った。

「あなた、FやKを憎んだところで、今さら消えたお金と時間が返ってくるわけじゃない。やらなきゃいけないことは、ほかにも山ほどあるわ。可哀そうなヤツらだと思って、ことらからパスしちゃいなさいよ。あんまりあの人たちを憎むことに関わらない方がいいわ。憎んだら、あなたまで持っていかれちゃうわよ」

…………

そうだよな。

「世の中みんな盗人だ」と思って、いつもピリピリしていたんじゃ、いい音楽は作れない。

オレはだまされた自分のことがいやじゃない。

この純粋バカさ加減の矢沢が嫌いじゃない。

そういうおれは甘ちゃんかもしれない。

…………

でもオレはそれでいいと思っている。

長い年月で、どっちが悲しい思いをするだろう。

オレじゃない。

オレを陥れるヤツの方が、悲しい思いをする。

オレは絶対そう信じている。

これは負け惜しみじゃなくて、そう思う。

人間はいつか死ぬ。

だんだん年をとって、体もゆうことをきかなくなってきて、ふと若いころを振り返った時、信頼してくれている人間を陥れたことがあるなんて思いだしたら、それは気持ちのいいもんじゃないよね。

負債と取り立て。これは苦しい。

でも、オレは負けない。

何歳まで生きられるか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。

矢沢永吉という役を。

…………

「そうだよなー.ケツまくって生きるのもスジか」と思って、でかい口あけて笑えるようになった。

オレは歌える。

借金を返すのに何年かかるかなんて、そんなもん、たいしたことない。

死んだらほんとのおしまいなんだよ。やっぱり。

『アー・ユー・ハッピー?』矢沢永吉 角川文庫