87)祈りの手(♪♪♪全2編)その2
「デューラーは、私のことで傷つき、苦しんでいます。
自分を責めています。
神さま、どうかデューラーが、これ以上苦しむことがありませんように。
そして、私が果たせなかった夢も、彼が叶えてくれますように。
あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように」デューラーは、その言葉を聞いて心打たれました。
「デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いない」と思っていたハンズが、妬み恨むどころか、自分のことより、デューラーは、のことを一生懸命祈ってくれていたのです。
ハンスの祈りを静かに聞いていたデューラーは、祈りが終わった時、彼に懇願しました。
「お願いだ。君の手を描かせてくれ。君のこの手で僕は生かされたんだ。君のこの手で、僕は、生かされているんだ!」
こうして1508年、友情と感謝の心が籠った「祈りの手」が生まれました。
ハンスは、デューラーのために働き、お金を送り続け、結果的に彼自身の絵描きになりたいという夢は、実現出来ませんでした。
そういう人生を、世間では「成功した人生」とは評価しないかもしれません。
しかし、「価値ある人生」でした。
彼のお陰でデューラーは、世の中に出て認められ、多くの素晴らしい作品を、世に残すことができました。
彼がいなければ、デューラーの作品は生まれなかったかもしれません。
少なくとも「祈りの手」という作品は・・・。
そして、彼自身が自分がしてきたことに納得しています。
誰も評価してくれなくても、価値ある人生だったのです。
おそらく1人の成功者の周りには、デューラーのように陰ながら、その人を支え、応援してくれている人がいます。
その人は、広い心を持ち、人のことを考えて行動します。
時に自分が傷ついても、人を愛することを選びます。
そういう行いの一つひとつは、価値あるものだと私は思います。
・・・
聖書にこのような言葉があります。
「彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。
そうすれば、あなた方の受ける報いは素晴らしく、あなたがたは、いと高き方の子供になれます」(新薬聖書 ルカの福音書6章35節)
聖書は「受けるよりも与える方が幸いである」(使徒20章35節)と語ります。
私達も愛を届けるものとして生きたいものです。