102).「扉の国」と「障子の国」(全2編)その1
※『アメリカなう』小学館より
アメリカで、『申込期限終了』とか「満員御礼」とか言われても、あきらめちゃいけません。
強い熱意を持って体当たりしたら、大抵の扉は開かれます。
というか、むしろ「その熱意がうれしいよ」と大歓迎されちゃったりするから面白い。
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「鉄人」の名で知られる元大リーガー、カル・リプケン選手らが主催する野球少年向けの合宿に、息子を放り込んだことがあります。
申し込もうとしたら、既に満員でした。
日本なら当然あきらめるところだけど、「ここはアメリカ」と、少々押しの強いメールを出してみました。
曰く、「日本から来た息子にとって、野球はアメリカの入り口でした。野球を通して友人を作り、英語を学びました。だからこそ、全米から野球少年が集うこの合宿を、ぜひ経験させてやりたいのです」。
そしたらメールを送って僅か1分後、「大歓迎ですっ!」と返事が来た。
あの~、満員御礼、だったんじゃないんですか・・・?
思うに、アメリカは「扉の国」なのです。
扉は、力任せに体当たりすれば開きます。
もちろんアメリカでも、根回しや、気配りは意外と大事なのだけれど、一番大事なのは本人の熱意や姿勢を見せることです。
一方、日本は「障子(しょうじ)の国」です。
体当たりしたって開くわけがありません。
力任せにぶつかれば、障子紙を破って、ひんしゅくを買うだけです。
障子はやはり、正座の姿でにじり寄り、周囲に気を配りつつ、礼を尽くして、ツツツと静かに明けなきゃいけません。
時には、障子戸にあえて手をかけず、じっと正座して待つとか、他人様にお願いして開けていただく、な~んて方法が、意外と効果を発揮したりもします。
ならば、これを上手につかいわければいいんだろうけど、どうにも難しい。
アメリカの「扉」の前で、何度正座して待ったことか!
3年かけてようやく、扉への体当たりのコツをつかんだと思ったら、今度は日本に帰った時、「障子」に頭から突っ込んじゃいそうで怖い。
でも、体当たりして、誤解されて、思い悩んで、バカな失敗を山ほど積み重ねて・・・。
そうやって知っていくのがやっぱり、一番面白いんだな。アメリカって国も、そして日本も。
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日本人の深層心理の中にある素晴らしい資質は、弱者や敗者に対する思いやりや共感といった惻隠(そくいん)の情※注、すなわち察する文化であるのです。
※惻隠の情
「惻」は、同情し心を痛める意。
「隠」も、深く心を痛める意。
従って、人が困っているのを見て、自分のことのように心を痛めるような、自他一如(いちにょ)【平等・無差別】の心もちを「惻隠の情」と言います。
もっと平たく言えば「思いやりの心」と言うことになるのかも知れませんが、それだけは十分に表せないもっと深い情愛を満たす言葉です。