112.ある大工さんの引退(全3編)その1

引退寸前の大工さんの話である。

彼は、もう引退しようと思っていた。

もう歳だし、これまで十分に仕事をしてきて、老後の蓄えもあるし、妻と一緒にのんびり暮らそうと思っていたのである。

雇い主は、そんな彼の気持ちを知りながら、「もう一軒だけ、家を建ててくれないか」と頼んだ。

「またですか・・・」大工はため息をついた。

前回の仕事では、自分はベストを尽くして納得できる家を建て、お客さんにも大変喜んでもらえた。

これが最後だと思って、全身全霊を籠めたのである。

しかし、もう今は、やる気もすっかり抜けてしまっている。

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「そこを何とか、後一軒だけ、頼むよ。君が好きなようにしていいから」。

長年お世話になった雇い主の執拗な頼みである。

大工さんは一応、渋々招致した。が、どうしても真剣に仕事をする気になれなかった。

それでも、長年の習慣で体は動き、頼まれた家は期日には完成した。

しかし、言い材料は使わず、手も抜いたので、自分でもとても良い家だとは思えなかった。

完成の知らせを聞くと、雇い主がやって来てその家の玄関のキーを渡して言った。

「これまでよく働いてくれた。この家は、引退する君へ私からのプレゼントだ」大工さんは、大きなショックを受けた。

そして、ひどく恥かしく思った。

「自分の家を建てると知っていれば、多分もっと頑張っていただろう」と思ったからである。

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3連載です。