105).泥かぶら(全3編)その2

果たして、「こずえ」の後ろから、父親の庄屋が竹の鞭を持ってやって来ました。

庄屋は、大切にしていた茶碗を割られたことで、怒り心頭に達していました。

父親の怒りを逃れるために、「こずえ」は、「泥かぶら」に罪を着せてしまいます。

怒り狂ったような庄屋は、娘の言うことを信じて疑いません。

「泥かぶら」を見つけると、容赦なく鞭で打って、折檻をし始めました。

「泥かぶら」は、黙ってその鞭を受けました。

………・・

何度も何度も叩かれ、ひどい言葉を浴びせられながらも、お爺さんのあの言葉を思い出しながら、「泥かぶら」は最後まで耐え忍びました。

しかし、それでも「泥かぶら」の顔は、少しもきれいになっていません。

絶望感と怒りに苛まれた「泥かぶら」が一人で泣いていた時でした。

「泥かぶら」を呼ぶ「こずえ」の声がしました。

「泥かぶら。堪忍して」そして、「こずえ」は、おずおずと自分が一番大事にしていた櫛を差し出したのです。

………・・

美しい櫛に心引かれるものの「泥かぶら」は、自分のちぢれた頭を思い出し「あたいなんか・・・だめだ」とためらいます。

「こずえ」は、そんな「泥かぶら」の頭の泥を払い、櫛で髪の毛をすいてあげて、かたわらの花を挿してあげるのでした。…

二人の間に、確かな友情が芽生えてきたのです。…

ちょうどそこへ、病気の妻のために薬草を探しにきた村の男がやってきます。

その薬草は、登るには危険な岩鼻にしかなく、男は失望していました。

「おじさん、あたい、採って来る」「泥かぶら」は、そう言って駆け出しました。

しばらくして全身傷だらけになって戻ってきた「泥かぶら」と手にした薬草を見て、男が、感謝感激したのは言うまでもありません。

「泥かぶら」の心にも、喜びが湧きあがってくるのでした。

……

それからです。

「泥かぶら」は、村の人のためになることを、次々と考えて実行していきます。

山に入って薪を拾ってきたり、子供が泣いていたら慰めてやったり、子守りをしてやったり、人の嫌がることでも、ニコニコしながら次から次にしていきます。

村人達は、たいそう喜び、「泥かぶら」も嬉しくなります。

すると、心も穏やかになっていき、あれほど醜かった表情が消えて無くなっていきました。

村人のために、労をいとわずに働く「泥かぶら」は、次第に、村人にとってかけがえのない存在になっていったのです。

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※いつもありがとうございます。明日も宜しくお願いいたします。

104)泥かぶら(全3編)その1

演劇「泥かぶら」をご覧になられた方もおられるでしょう。

昭和27年の初演以来文部大臣奨励賞を受賞し、国内外で15000回以上も上演されている眞山美保作・演出の名作。

子供から大人まで楽しめて心洗われる美しい劇です。ストーリーをご紹介します。

……………・

昔、ある村に顔の醜い少女がいました。

孤児で、家もなく、森の落葉の中にもぐり、橋の下に寝る。色は真っ黒、髪はボウボウ。

着物はボロボロ、身体は泥だらけ。

少女は、その醜さゆえに、「泥かぶら」と呼ばれていました。

子供からは石を投げられ、唾を吐きかけられ、「泥かぶら」の心は、ますます荒れ、その顔は、益々醜くなっていくばかりです。

…ある日のことです。

「泥かぶら」が、いつものように村の子供達と争っていると、旅のお爺さんが通りかかりました。

悲しみに打ちひしがれた「泥かぶら」を慰めていると、「泥かぶら」は、「きれいになりたいなあ~」とつぶやき、お爺さんにその方法を問います。

お爺さんが教えてくれた方法は、3つありました。

「まずは、自分の顔を恥じないこと。2つ目は、どんな時にもにっこりと笑うこと。そして3つ目は、人の身になって思うこと」

「泥かぶら」は、激しく心を動かされます。

というのも、それらは、今までの自分と全く正反対の生き方だったからです。

「この3つを守れば村一番の美人になれる」お爺さんの言葉を信じた「泥かぶら」は、その通りの生き方をし始めます。

しかし、急に態度の変わった「泥かぶら」を見て、村人は不審に思うばかりか、嘲笑し、中傷するのです。

しかも、川面に映る自分の顔を見ても、少しも美しくなっていません。

「泥かぶら」が、絶望感に襲われていると事件が起こります。村一番の美人で、一番お金持ちの庄屋の子「こずえ」が、どうしたことか、「こわいよ!」と叫んで逃げ回っていたのです。

「こずえ」は、日頃から、「泥かぶら」を嫌がって虐めていたものの一人です。

何か訳があるに違いありません。・・・

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続きは明日、明後日投稿いたします。

103)「扉の国」と「障子の国」(全2編)その2

先の東日本大震災の時のような非常時になると、そのよき資質が現れる。

海外メディアが驚嘆した「日本人らしさ」であります。

しかし、アメリカを筆頭に他国と行くと、この以心伝心が通じないことが多いと聞きます。

言語も習慣も違う多民族国家の中では、自分を主張し、意見をハッキリ言わないと何も通じないからです。

相手が理解してくれるのを待っているだけでは、扉はピクリとも動きません。

子供のころから、人前でプレゼンする訓練を受けてきたアメリカ。

時には、熱意や姿勢を派手に出すことも必要です。

問題は、どうすれば「惻隠の情」が育つか、と言うことです。

そこには「わがまま」を抑えることから始めるのが一番でしょう。

そして、その第一歩は行儀作法を良くすることです。

具体的には、

1.「ハイ」という返事が元気よく言える。

2.「おはようございます」などの挨拶がきちんと言える。

3.脱いだ靴のかかとを揃える。

4.姿勢を正す。

5.朝寝坊をしない。

この5つが大事だと思います。

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一見「惻隠の情」とは無関係のように思われるかも知れませんが、洋の東西、時の古今を問わず、

行儀作法を教えないで、人間らしい心を説いた人はありません。

何故なら行儀作法は、人間のみ出来ることであり、その意義が理解出来るのも人間だけだからです。

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小学校の児童に「人間としての土台3原則」という話を聞いたことがあります。

1.       あいさつは自分から先に

2.       返事は「はい」とはっきりと

3.       脱いだ履物は、踵を揃え、立ったら椅子は机の下に

この3つです。

この3原則を説かれた先生は、この3か条こそが人間の生き方の基本であり、これさえ身に着ければ、人としての土台ができるとおっしゃるのです。