どちらから観るの:複眼思考(part2)

昨日に引き続き、どちらから観るの:複眼思考をお届け致します。

先ず「南禅寺の泣き婆さん」という話をします。その後、短編を続けます。

湯豆腐が名物が名物の、京都は南禅寺の門前に住むお婆さんが、雨が降っては泣き、天気が良いと言っては泣いています。お寺のお坊さんが不思議に思って訳を聞くと、こう言うことでありました。

お婆さんには二人の息子が居ます。長男は履物屋を、次男は履物屋をしています。雨が降ると履物が売れない。天気になると傘屋はお手上げ。そのことを考えると、心配で、心配で泣けてくるという。

するとお坊さんは「そんなことはないぞ。雨が降れば長男の傘屋さんが儲かるし、天気になれば二男の履物屋が良く売れるではないか。どちらにしても、どちらかの息子さんが儲かっているのだ。大いに喜んだらいいじゃないか。泣くことはないよ」といって励ましたということでした。

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ある殿様が2人の占い師の採用試験を行いました。権左衛門は6割の的中率、吉兵衛は3割の的中率であった。当然のことながら、殿様は、権左衛門を採用しようとしたのですが、家老は「いけませぬ殿、吉兵衛になさいませ!」と進言しました。殿は、「なにゆえだ?」と尋ねると、家老は「権左衛門の的中率は六割もありますが、的中率三割である吉兵衛の予言を、全て裏に取りましょう。さすれば、的中率は七割ということでございまする!」・・・・

確率というのは、黒白で出来た反転図形みたいなものである。黒を見るか白を見るかで、形が全く違ってくる。全ての予言は、全く当たらなければ、全部あたるのと同様の価値が有るとも言える。

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アメリカの強打者ベーブルースがこう言っています。「打率の確率からすると、アウトのたびにホームランに近づいている。だから三振にビビることはない。恐れているのは投手の方だ」三振の多さを慰めているのではない。この開き直りこそ参考にすべきでしょう。前向きの楽天主義と言い換えていいかもしれません。

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「まだ早いよ、なんて言っているから、遅れちまうんだ」ということを表現した『まだ早いが、遅くなる』という諺が有る一方で、『未だ渡れるは、もう遅い』という交通安全の標語もある。積極策だけが、人生全てではないことも真実です。表を読むか、裏を読むかで、判断基準の幅が大きくなります。

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今回の「複眼思考」でのポイントは、「見ているものは一つの事実なのです。事実の積み上げにより論理的思考が可能であり、事実把握こそ問題解決の全てであるかのように主張する人がいます。しかし、もっと大切なことは、事実の積み上げの中から、それをどう解釈するかというところが、宝石に磨きあがるか、ただの石ころになるかの分かれ道であると思います。これはその人が、過去の人生をどう生きたか(或いはこれからどう生きようとしているか)によって解釈が異なります。更なる前向きの冒険に掛けるか、がっちり護りに入るか選択の問題になります。

さて、皆さまの選択は、どっちですか?