日々新又日新(全3編)その2
その2
殷※の湯王(とうおう)という人は、顔を洗う洗面器に「日々新又日新」即ち、「まことに日に新たに、日々に新たにして、又日に新たなり」という言葉を、貼り付けておられたといいます。
毎朝、顔を洗う度に、心も毎日新しくならなければ、いけないということです。
「毎日新しい心で」ということは、何ら既成概念を持たず、いつも新しい世界に触れていくならば、身辺は常に新しいのです。
昨日の太陽が、今日もまた出ているように思いがちですが、厳密に言えば、あれだけ熱量を発散したら、昨日の太陽と今日の太陽とは熱量が違うはずです。
或いは内部爆発をして、更に熱量を増しているかもしれません。
庭の草木を見たって、毎日、朝顔のつるが伸びていく。昨日咲いた花が、今日も同じようには咲きません。
アルプスの雪形も、毎日変わっていきます。
自然の世界は毎日新しい。
人間の心だけが、古いところ、過去の経験にこだわり易い。
それがマンネリです。
自然だけではありません。
私たちの身体でも新陳代謝をして、昨日の細胞と今日の細胞とは変わっている。
全てが、新しくなっていく。
心も新しくして、昨日の失敗は、その原因だけを整理したら、結果は忘れて次の行動をしましょう。
仕事だけでなく、私生活においても、昨日人を恨んだことは忘れて、憎いことも、嬉しかったことも全て忘れて、新しい心で今日を迎えていく姿勢を大事にしたい。
「一念修行すれば、自身、仏に等し」と言います。
「毎日新しい心で生きていくならば、そのままであなたは、仏である」
と仏典は教えています。
日常行動を見ると、誰でも新しいことが本当は好きなのです。
野菜売場へ行けば、「この大根は新しいですか、この茄子は地元の新鮮なものですか」といって、新しいものを買おうとします。
鮮魚売場では、「このサンマは産直ものですか、このアジは?」と確認して、新しいものを買います。
ファッション売場へ行っても、「この服は、今年のトレンドですか?今年の新しい柄ですか?」と言って念を押します。
インテリア店に行っても、「これは新デザインですか?」と尋ねます。
日頃は、何でも新しいことが好きなくせに心の中は違う。
「彼から、3年前あんなことを言われた。頭にきて忘れられん、死んでも忘れん!」と叫んでいる。
おかしいことだとは思いませんか?
次回は、「日々新又日新」を座右の銘にした元経団連会長の土光敏光氏を紹介いたします。
※「殷(いん)」は、紀元前17世紀頃の王朝、考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝です。