「北風と太陽」を疑ってみる(全2編)その2

 つまり、この物語は、最初から、勝負の決着が予想されているスト―リーなのです。

大人なら、そこを疑ってかからにといけません。

どうして、勝負の内容が、「道を歩いている人の服を脱がせる」なのでしょうか?

もし、もともとの設定が、真夏の道だったとしたら、どうだったのでしょうか?

「力が強いか?」ではなく、「心地よくさせることが出来るか?」だったら、どうでしょうか?

・・・

 「道を歩く人の帽子を取る」だったら、結果はどうだったか?

実は「服を脱がせる」対決の前に、「歩いている人の帽子を取る」対決をしていた、という話があります。

結果はどうだったか。「太陽はじわじわと照らしますが、帽子は取れません」仕方が無いので、もっと光を強くしたら、帽子を取るどころか、より深くかぶられてしまいました。

一方の北風は、勢いよく下から風を吹き上げて、いっぺんに帽子を飛ばしてしまいました。

北風は、簡単に太陽に勝ったのです。

ここでの本当の学びは何か?

それは、「どちらが勝つか」という時、何を勝利の基準やモノサシとして選択するかで、結果は大きく変わってしまう。

逆になってしまうこともある、ということです。

何を選ぶのかが重要になります。

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あなたが北風だとすれば、「服を脱がせる対決」をするなどと、太陽と同意をしてはいけません。

自分の得意なところで勝負をすれば、結果は変わるのですから

 厳しくしてくれる北風的存在が今、求められている

北風と太陽のどちらにも強みがあり、弱みがあります。

太陽の様な包容力も、北風の様な力強さも、両方が使えます。

言い聞かせることも、無理に押し付けることも、場面に応じて使い分けをすればいいのです。

実際、太陽の様なアプローチが、いつも有効とは限りません

「無理に押し付けてはいけない」と、じっとがまん強く相手と、向きあっていたとしても、必ずしも上手くいくわけではないことは、多くの人が経験済みだと思います。

時には北風のように、強さや強引さが必要な時もあります。

むしろ今、世の中に必要になってきているのは、北風的なアプローチではないかとさえ、感じています。

優しい人が増えて、厳しくされることに慣れていない人が、多すぎる気がします。

「厳しくしてくれる人、叱ってくれる人こそ、大事にする必要があります」厳しくない先輩や上司は、ともすればうっとうしいものですが、そのお陰で自分も成長出来るのです。

誰だって、うっとうしいと思われたくありませんから、厳しくない人でいた方が、ラクチンです。

それでも厳しくしてくれる人こそ、本人の成長を期待してくれる。

本当の意味で優しい人です。

先輩や上司のみならず、親も同様でしょう。

優しくされたところで、後で本当に困るのは、本人なのですから(終わり)