手を打てば・・・(されどコミュニケーション)全3編
手を打てば・・・(されどコミュニケーション)
その1
私は九州長崎県島原市の出身。高校の修学旅行は、京都・奈良でした。
今から約40年前のことです。
今も記憶にあるのは、奈良の大仏と赤井鳥居の春日大社、そして猿沢の池であります。
静かな池だったよう覚えています。
何かの機会に是非訪ねてみたいと思っていましたら昨年ようやく希望が実現しました。
…………・
昔と異なり猿沢の池周辺は、市街地化しまっており、少々残念な気もしましたが、想像の範囲であったので仕方ないと思いました。
かろうじて、後方の背景に見える五重の塔と青い柳の枝が心を和ませてくれる。
真中にある噴水は、いささか興ざめである。
周りの環境とは、とうていあっているとは言えない印象である。
…………………
昔にタイムスリップしてみます。
江戸時代かそれとも明治の世かもしれない。
池のほとりの茶屋で一人の旅の人が休んでいる。
旅人は茶店の前に出された、緋毛氈(もうせん)の掛った長椅子に腰を掛けている。
池には、沢山の鯉が悠々と泳いでいる。
池の周りの木々には、数羽の鳥が静かに止まっている。
静寂さが、世の中の落ち着きと和みを象徴している。
しばらく、景色に見入っていた旅人が、静けさを割くように、お茶の催促であろうか、やおら「ぱんぱん」と手を打った。
その時の様子を詠んだのが、次の句である。
手を打てば 女中茶を持ち 鳥は飛び 鯉は寄り来る 猿沢の池
旅人の動作は「手を打つ」という、たった一つの動作なのですが、それにより「女中茶を持ち」・「鳥は飛び」・「鯉は寄り来る」という三つの現象が現れました。
旅人は何気なくただ「手を打った」のかもしれません。
すると、女中は自分が呼ばれたと思い、鳥は音に驚き、鯉は餌を貰えると思い行動を起こしたのである。
それぞれの立場により、異なる動作と状態が発生していることが重要です。
コミュニケーションの難しさを象徴しています。
明日(その2)は、私達の日常生活に置き換えて話を進めます。