でも、同じボタンを押すのは?(全3編)その3

※当たり前

「当たり前」というのは、魚や狩をする人達が、各人の役割や働きの程度に応じて、

水揚げ分や獲物を分配していました。

その1人分の分け前を当たり前と言っていました。

これが「当然の姿」「そうあるべきこと」を言い表す言葉になりました。

この言葉には、生活を守るための必死さが感じられます。

「当たり前」を確保しようと懸命になっていたはずです。

働きが悪ければ「当たり前」も減らされてしまいます。

………………

その点、現在の「当たり前」は軽くなりすぎです。

この言葉の語源にある「必死」とか「懸命」という含みを持った部分を大事にしたいものです。

松下幸之助さんは

当たり前のことを当たり前にやれ、但し、徹底的に」

と言いました。

当たり前のことを、当たり前にやる」ためには、目標に対し意欲的にチャレンジしなければ「当たり前」のことは到底出来ないことを、示唆(しさ)していると言えるのではないしょうか。

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明日からは、「レギュラーになれなかった人達に」のお話をします。

(全2編)のその1は、「大阪の窓友新聞」の記事の抜粋から始めます。

大阪の窓友新聞に、次のような内容の記事がありました。

大阪の藤井寺に住んでいる、原田さんと言うお母さんの話です。

息子さんは、高校三年生。

阪南大高校の野球部に入り、レギュラーを目指して頑張ってきました。

大阪府予選を前にした土曜日、

いつもは遅くとも9時までに必ず練習を終えて、汗びっしょりになって帰ってくるのに、10持半を過ぎても戻ってきません…

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今日も素敵な1日を‥‥それではみなさん   「キュ」