不将不迎…今を大切に(その一)
不将不迎…今を大切に(その一)
もうすぐリオデジャネイロオリンピックが始まります。オリンピックが終わると、パラリンピックが始まります。
パラとはパラレル(平行)という意味で、もう1つのオリンピックといわれています。
身体面で、何らかの障害をお持ちのアスリート達のオリンピックです。
彼らの入場行進時の表情は、何時も実に爽やかで、笑顔に充ち溢れています。
どうして、あれだけ幸せそうな姿で、拍手に応えられるのでしょうか。
以前上司から自身が関わった「長野冬季パラリンピック」の体験を聞きました。
その時聞いたお話しを、私なりに整理して紹介いたします。
………・
あの笑顔も秘密を解く鍵は、三つ。
一つ目は、厳しいトレーニングと選考会を勝ち抜いて、晴れ舞台に立てたこと。
しかしオリンピックに出ている選手と比べると少しその重みが違うように思われます。
オリンピック競技選手を応援するスポンサーは沢山いますが、パラリンピック競技者への応援者は、極めて限られています。
勤務している会社の協力を得られている度合いも、オリンピック選手と比べ非常に少なく、練習場所も、健常者の練習が終わってからしか確保できないなど、技術向上にも制約が多いのです。
一般のボランティアの協力無しでは、「パラリンピック」は成立しない。
それゆえ「能力が高かった」というだけで、出場できたのではなく「厳しい環境を克服して、ここまで来れた」という喜びがその背景にあるのです。
二つ目は、「自分たちの障害は、ハンディだとは思っていない」ことです。
車椅子を利用されているある選手の方がこう言われたそうです。
「私は、足が不自由だから車椅子を使っていますし、目の不自由な方が長い距離を走る時は、搬送者が先導します。
視力の殆ど無い人達が射撃をします。どうするとおもわれますか?
こうやるのです。
耳にヘッドホーンを付け、地面に這いつくばって銃を構えます。
ヘッドホーンから、高低のついた音がながれます。
遅れても、早くても点数が低くなります。
このように目の不自由な人でも、耳は、健常者の方と同じ聴力がありますから、やり方を工夫して競技しているのです。
だから、私達を弱者だとか、可哀そうな人達だという眼で見ないで下さい。
健常者と言われる皆さんだって、視力の低い人は『メガネ』を掛けているではないですか。それと全く同じです。」
オリンピック入場式で、健常者の選手が、ニコニコしているのと同じように、私達も生き生きした表情をして当然なんです。
そして三つ目に、「私達は今日を、一生懸命生きているのです。
私の、あの過去が無かったらとか、今こんな車椅子になんか乗っていなかったからと、思っても仕方がないことでしょう。
過去は、戻って来ないのですから。又、将来のことについては、沢山不安はあります。
しかし、それを心配してもしょうがないでしょう。
だって、明日はまだ来ていないのですから」と言われたそうです。
その話を聞いて、大変感動したことを今でも覚えています。
今回は、そのような気持ちで、選手たちを応援しませんか?